対話脳を発達させるツールとしての読書会

昨今、ビジネスでも対話の重要性が注目されています。
ただ、その必要性を感じながらも知らぬ間に議論に終始している、、
仕事を通して対話脳ではなくて議論脳が発達し過ぎたと感じます。

そんなときにたまたま同僚と読書会を企画し、
読書会を通じて純粋な対話を実現できました。
そこで本記事では、対話脳を発達させる最高のツールとしての読書会についてお伝えします。

■議論と対話

読書会の話をする前に議論と対話の違いについて考えてみます。
ぱっと見でどういう定義なのか人によって微妙に違いますよね。
そこでまず議論と対話の違いについて一般論と自分の考えを踏まえて整理してみます。

こう整理すると議論と対話で全然違うことが改めて実感しますね。
利益を生むための会社組織で対話を実現することが難しいのも頷けます。
どう考えてもフラットではないし、
意見や考えより事実を求められるし、
何よりも意思決定がゴールという共通理解があるし、、

■唯一解に対する共通理解の違い

なぜ似たような言葉でこんなにも特徴が違うんでしょうか?
その原因は唯一解が有る前提か唯一解が無い前提か、
つまり、”唯一解に対する共通理解の違い”が議論と対話を分けると考えています。

・議論
唯一解が有る前提のため”意思決定”をゴールとする。
そのゴールに最短経路で到達するために
それぞれが自分の意見を事実ベースで主張し、相手を説得する。
当然、参加者の能力/経験差が生まれるのでその場には階層が生まれる。

・対話
唯一解が無い前提のため”相互理解”をゴールとする。
それぞれが他者を理解しようという前提なので
話し手には自分の意見を通そうとする説得は無い。
聞き手も他者の考えを引き出す傾聴の姿勢が生まれる。

当然、会社での業務は意思決定をゴールとしているので
唯一解が有る前提の議論がほとんどを占めています。
そう考えると唯一解が無い前提の対話をする機会ってほとんど無くて、
議論(意思決定)脳が支配的になってると感じます。

■読書会は純粋な対話

そんなときに偶然ですが、
対話脳を鍛える最適な場に出会いました。
それが”読書会”です。

別に対話脳を鍛えようというような高尚な目的ではなく
本好きが集まって酒を飲みながら好き勝手おすすめし合おうという会として
会社の同僚と読書会を企画したのがきっかけでした。

僕はビジネス書、哲学書とかしか読まないですが、
雷図鑑についてその形の美しさを熱く語る人も、
児童用の絵本について子供よりも感受性豊かに感じ取って語る人もいたり、
一方で聞き手側もそれに対して
考えを理解したうえでなぜそう感じるのか?を深堀りしたり、
自分なりの解釈を提示したりと、以上な程盛り上がりました。
(5人それぞれが1冊の本を紹介するのに4時間くらい)
居酒屋でやってたんで周りからしたら完全にやばい集団ですね。

この経験を通じて読書会は純粋な対話そのものだと確信しました。
無条件に共感ありきで聴いてくれる人に自分の考えを語ることで自己理解に繋がり、
それを起点に対話が生まれ、新たな視点が得られる。
相手に対しても無条件に共感することで他者理解に繋がり、
相手の考えを起点に対話が生まれ、新たな視点が得られる。

まさに読書会は冒頭で出した表を見ても対話そのものです。

唯一解が無い前提での対話としての読書会。
ぜひおすすめします。

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